walkarium

世界の街を、静かに眺めるだけのサイトです

ナレーションのない、世界の街歩き動画を集めてみました。
作業中でも、散歩感覚でも、静かに世界中を旅できます。

ドラッグで移動 · +−で拡大 · ピンを押すと動画が変わります

街の一覧

動画は公開説明をもとに集めています。全編の内容は未確認で、街の会話や音楽が環境音として入る場合があります。

ボゴール

1本の街歩き動画

ボゴール · inimasabi街の紹介を読む ↓
1本の動画

ボゴールを知る

ボゴールは西ジャワの内陸にある町で、チリウン川とチサダネ川が市街地を流れています。パジャジャラン王国の記憶に、植民地期の宮殿や植物園、商家の地区が重なっています。植物を集めて調べる仕事は、農学や獣医学の教育にもつながりました。市の中心には白い列柱を持つ宮殿と広い緑地があり、周囲にはスリヤクンチャナの商家やエンパンの共同体の暮らしが続きます。鉄道はジャカルタや内陸の町へ人と物を結んできました。

インドネシアの中では
インドネシアの中でのボゴールの位置

● ボゴール

街の代表地点 · 国の主な陸地

川と町の歴史

二つの川が流れる内陸の町

河川の水を測る仕事を表す、採水容器と簡素な測定棒の概念画。

ボゴール市にはチリウン川とチサダネ川が流れています。西ジャワの山地から下った川は北へ向かい、やがてジャワ海へ注ぎます。市の南側にはサラック山やグデ・パングランゴ山系に由来する火山性の地層が広がり、北側ではその風化物がつくる扇状地へ続きます。川沿いにも住宅や商業地が増え、二つの川は市の水道に使う原水の供給源にもなっています。

Dinas Lingkungan Hidup Kota Bogor

パジャジャランの王都から植民地の町へ

昔の川の往来を表す、簡素な木の櫂と荷籠の概念画。

ボゴールの歴史には、オランダの統治以前のパクアン・パジャジャラン王都の記憶があります。チリウン川とチサダネ川は自然の防御線となり、水や交通を担いました。18世紀には周囲の集落を含む地域がブイテンゾルフと呼ばれ、植民地の高官の別邸と行政の場が育ちました。川の間の古い居住地に、宮殿、植物園、商業地区などが時代を重ねて加わっています。

Pemerintah Kota Bogor · Kementerian Sekretariat Negara RI

宮殿と植物研究

別邸から大統領の公務の場になった宮殿

木立の間から見える、ボゴール宮殿の白い列柱と小塔、池の部分景。

市の中心部にあるボゴール宮殿は、1745年にオランダ総督が建設を命じた別邸に始まります。1834年の地震で大きく壊れた後、19世紀半ばに建て直されました。1949年末にインドネシアへ返還され、1950年から政府が使用しています。大統領の執務や国賓を迎える場となり、1994年のAPEC首脳会議など、国外との交渉の舞台にもなりました。

Kementerian Sekretariat Negara RI · Arabsalam / Wikimedia Commons

Arabsalam / Wikimedia Commons(写真を参考に一部省略) · CC BY-SA 4.0

植物を育て、調べてきた植物園

ボゴール植物園の池に浮かぶ大きな丸い葉と木立を省略した部分景。

宮殿に隣接するボゴール植物園は、1817年にオランダ領東インド政府が設立しました。当初は導入する栽培植物を試す実験園として構想され、その後、植物を集めて調べる拠点へ発展しました。周囲には1842年の図書館、1844年の植物標本庫、1884年のトロイプ研究室などが生まれています。大きな木々や池のある市中心部の緑地には、園芸と研究の長い蓄積があります。

Kebun Raya Indonesia · Talaborn / Wikimedia Commons

Talaborn / Wikimedia Commons(写真を参考に一部省略) · Public domain

商業と共同体の地区

細長い商家が並ぶスリヤクンチャナ

店の商いを表す、無地の量りと小さな商品包みの概念画。

スリヤクンチャナ通りとその周辺は、19世紀初めから華人の居住と商業の地区として発展しました。店と住居を兼ねる建物は、通りに面する間口が狭く、奥へ細長く伸びるつくりです。かつてハンデルストラートと呼ばれた通りは、独立後に名前を変えてきました。ババカン・パサールとグダンにまたがる地区で、古い商家の保存と、商業や道路の使い方の調整が課題になっています。

Pemerintah Kota Bogor

エンパンに受け継がれる共同体の暮らし

食事を分け合う暮らしを表す、無地の皿と水差し、折った布の概念画。

南ボゴールのエンパンには、19世紀からハドラマウトにルーツを持つアラブ系の人々が暮らしてきました。植民地政府が人種ごとに居住区を分ける制度を敷いたことも、地区の形成に関わっています。モスクや宗教指導者の墓があり、参拝の場所となってきました。市の2015年の記録は、ラマダンに家を開いて食事を分け合う習慣や、アラブ系の料理も地区の文化として挙げています。

Pemerintah Kota Bogor

学問と交通の仕事

農学を学ぶ場所が集まった町

農学の学習を表す、無名の鉢植えと種子皿、簡素なルーペの概念画。

ボゴールでは1940年に農学の大学教育へ向けた準備課程が始まりました。農業に関わる研究機関が集まっていたことが、教育の場所に選ばれた背景です。1948年にはタマン・クンチャナなどで授業が行われ、1952年にはバラナンシアンの農学部校舎の建設が始まりました。1963年に独立したIPBは、農業や獣医学の教育を受け継ぎ、食料生産の研究や農業普及にも取り組んできました。

Arsip IPB University

ジャカルタとプリヤンガンを結ぶ鉄道

鉄道を築く仕事を表す、短いレールと木の枕木、スパナの概念画。

ジャカルタとボゴールを結ぶ鉄道は1873年に開通しました。さらに内陸のプリヤンガン地方へ線路が延び、1881年にチチュルグ、1882年にスカブミへ通じました。資材を運び、地面を掘り、橋や駅を築く多くの仕事が必要でした。一方、植民地期の列車はヨーロッパ人、華人やアラブ系の人々、現地住民などに階級を分けており、交通の発展にも当時の社会の不平等が表れていました。

PT Kereta Api Indonesia

この街の基本情報

国・地域の公用語
インドネシア語
Wikidata
街・地域の人口
982,469人
ボゴール・2015年時点。Wikidataの掲載値。
Wikidata
国・地域の人口
285,721,236人
インドネシア・2025年。市や地区の人口とは別の数値です。
世界銀行

季節と気温の目安

年間の月平均気温は約24〜26℃で、季節による気温差は小さめです。降水量は2月が約324mm、8月が約56mmで、雨の量にも季節差があります。

10月の気温の目安

平均最高気温
約30℃
平均最低気温
約22℃
平均気温
約26℃

1991〜2020年の30年間の月別平均。代表地点周辺の格子データによる推定で、街の観測所の実測値や現在の気温ではありません。標高や地区によって差があります。

NASA POWER
月ごとの気温を見る
月平均最高平均最低平均
1月約28℃約22℃約24℃
2月約27℃約22℃約24℃
3月約28℃約22℃約25℃
4月約28℃約22℃約25℃
5月約29℃約22℃約25℃
6月約28℃約21℃約25℃
7月約28℃約20℃約24℃
8月約29℃約20℃約24℃
9月約30℃約21℃約25℃
10月約30℃約22℃約26℃
11月約29℃約22℃約25℃
12月約28℃約22℃約25℃

この地域の食べもの

インドネシアの食文化から、料理や菓子を紹介します。

この街の出身者

Alda Risma

俳優・歌手。

ボゴール生まれ。Wikidataの出生地記録。

Wikidata

Ed Sol

サッカー選手。

ボゴール生まれ。Wikidataの出生地記録。

Wikidata
出典・人口の範囲について

街の代表地点で分類しています。動画は公開説明から集めた候補で、全編の内容は未確認です。

街歩き動画を、続けて見る。

動画が終わると、別の街へ移ります。

walkariumについて

walkariumは、世界の街歩き動画を眺めるサイトです。水槽を眺めるように、どこかの街の日常を楽しんでください。地図から場所を選んだり、ランダムで街を巡ったりできます。

ランダム再生は、表示中の条件から街を選びます。動画が終わると別の地域へ移り、次の動画を再生します。「次の街へ」で手動でも進められます。

動画は投稿者のタイトルや説明をもとに集めています。全編の音声は未確認です。通りの会話や店の音楽が入っている場合があります。

地域ページの大地域・小地域は国連M49の地理区分を参考にしています。都道府県・州、都市・地区は登録済みの場所情報でまとめています。

保存した街は、このブラウザーに記録されます。地球儀はGlobe.GL、平面地図はLeaflet / OpenStreetMap、地形はNatural Earth、代表座標の一部はGeoNamesの地名データを使っています。